【第3章 一神教の理 A】一神教とは

明治維新以降西欧の価値観を採用した日本人にとって、一般的になじみの深い一神教といえば、当然のことながらキリスト教の神であろう。しかし、他にもイスラム教、ユダヤ教などがあり、それらの一神教はただ単に資本主義に彩られたかに見える現代日本の情勢の中で、目立たないだけなのである。

私はキリスト教=先進宗教というイメージをそのまま踏襲したくはないので、ここではキリスト教の神の他にも、イスラム教やユダヤ教にも触れてみようと思う。しかし、順序としてはまず、キリスト教旧約聖書の創世記から見ていこう。

ギリシャ神話や古事記のような多神教とは異なって、キリスト教ではまずはじめに世界が存在するのではなく、神が存在する。「初めに神は天と地を創造された」という言葉で旧約聖書ははじまっている。

ギリシャ神話にしろ古事記にしろはじめに存在したものは「混沌」であり、そこから天と地が分かれていった。ところが、旧約聖書によれば、最初から無条件で存在する神が、天と地を造ったことになっているのである。

その天地創造の過程が現在広く使われている「一週間」の起源であるとされている。以下ではその一週間のそれぞれの日、つまり「月火水木金土日」曜日の七日間について、天地創造がどのようになされたかを見ていこう。ちなみに、「月火水木金土日」曜日という言葉は陰陽五行説の木火土金水に太陽と月を付け加えた日本流の名づけ方である。

以下の聖書からの日本文の引用は、日本聖書協会から1975年に発行された、「旧約聖書(1955年改訳)」によるものであることを、ここに明記しておく。大学時代に、私が自宅の埃まみれの本棚から見つけたこの聖書は、私の母親が使用していたものと思われる。