【第2章 多神教の理 E】古事記の神々 国生み

古事記においての創世記はかなり曖昧である。天地が出来てくる一番初めに高天ヶ原という場所に「天の御中主の神(あめのみなかぬしのかみ)」「高御産巣日の神(たかみむすひのかみ)」「神産巣日の神(かみむすひのかみ)」という姿形を現さない神がいたという。つまり、最初から高天ヶ原という場所が存在していたわけである。

この時点では神や人の生活の場所がまだしっかりと固まっておらず、水面に浮かべた油のような状態でとらえどころがなく海月(くらげ)のように漂っていたという。その中からいくつかの「天つ神」がさらに生まれ、その中に「いざなぎの神」「妹(いも)いざなみの神」がいた。ここまでは「天地初発」と呼ばれる。この天地初発が終わると天つ神一同が「いざなぎの命(いざなぎの神)」「いざなみの命(妹いざなみの神)」の二柱の神に油のように水面に漂っているものを国としてつくろいおさめて完成するように命じ、立派な珠飾りの矛を授けた。そこでこの二柱の神は天上に浮いてかかっている天の浮き橋に立ってその矛を油のように水面を漂っているものの中に差し下ろしてよくかき回し、矛を引き上げたときにしたたった雫が重なりつもって島になり、それが日本列島になったという。そして二柱の神はその出来た島に降り立ち、「天の御柱」という柱を立て、広い御殿を建てた。この後、いざなぎ・いざなみ両神は夫婦の契りを結ぶことによって様々な島を産んで行く。これが「国生み」と呼ばれる行為である。ここで興味深いのは、国生みの記述に男と女の関係を決定づけるような記述があるということである。次に国生みを要約してみよう。

いざなぎの命は女神のいざなみの命に、自分の身体はどんどんととのってきて、出来余ったところが一か所あるから、それをいざなみの命の未だきちんとまとまっていないところに挿しふさいでととのえて、国を生み出そうと提案する。いざなみの命がそれを受け入れると更にいざなぎの命は二人で歩いて行って、天御柱を回って行ったところで会って、夫婦のちぎりを結ぼうと提案し、いざなみの命が柱の右から回って行くようにし、いざなぎの命は左から回って行くようにと取り決めた。取り決めにしたがって二人が天の御柱を回って互いに会ったとき、いざなみの命が先に言葉をかけて、「ほんとにまあ、立派な男だこと」と言った。それについでいざなぎの命が言葉をかけて、「ほんとにまあ、立派な女だこと」と言い返した。二人は契りを交わし、水蛭子(ひるご)という子を生んだ。しかしこの子は、葦で編んで作った舟に入れて流しやられてしまった。次に淡島を生んだ。この二人の子供にいざなぎといざなみは満足できなかったので、天つ神のところへ行って相談したところ、その答えは「女の人が先に言葉をかけたのが原因で、望ましくない結果がおきた。あらためて言葉をかけ直しなさい」というものであった。そこで二人はすぐ島に下り帰って、天の御柱を行きめぐるやり方を、前回同様に行い、今度はいざなぎの命が先に「ほんとにまあ、立派な女だこと」と言葉をかけ、その後でいざなみの命が「ほんとにまあ、立派な男だこと」と言葉をかけた。こうして、国生みが本格的に始まったのである。

この中で特徴的なのは、いざなぎ(き)といざなみという神が人間と同じように性交によって国を生んでいるということである。このことはキリスト教などの一神教の神とは大きく異なるところである。一神教の神については次の章で扱うので詳細は後述するが、もともと神が一人しかいない一神教では、当然のことながら神が何かを生み出すときは性交によることはないのである。性交には常識的に言えば二人の性別の異なった人間が必要だからである。

また、古事記には神の起源についての記述はあっても、人間の起源についての記述がない。同じ多神教の世界観でも、前述したギリシャ神話には人間の起源についての記述があった。それは、粘土をこねてオリンポスの神々の似姿を造って、それに命を吹き込むというものであった。しかし、そういったような記述は古事記にはなく、ただ単に国を治めるものとしての神が生み出される記述しかないのである。そしていつのまにか神武天皇から始まって、民衆を治めるものとしての天皇の記述に変わっていくのである。

少々歴史的な解釈を加えてみよう。古事記の本文の前に太安万侶(おおのやすまろ)が天皇に献上するという形をとった序文があり、そこからは古事記は天皇の命令によって公的に編纂された公文書であるということがわかる。この、権力機構によって編纂が進められたということはギリシャ神話との大きな違いである。ギリシャ神話は古事記やあるいはキリスト教の聖書のように一冊の本として書かれたものではなく、長い時代にわたって様々に語られてきた物語なのである。だから、ギリシャ神話は確固とした正しい物語があるわけではなく、その物語を記述した作者の解釈によって様々なものが残っているのでる。試みにギリシャ神話の元となった物語を書いたギリシャ人を列挙してみると、ホメロス、アリストパネス、ヘシオドスなどがいる。つまり、ギリシア神話とは「書かれた瞬間に固定するような種類のものではなく、たとえば雪だるま式に、転がるにつれて大きくなってゆく『生成』的な文学」(『ギリシア神話』岩波ジュニア新書)なのである。

それに対して古事記は、天皇家によって天皇家の統治の正統性を確固たるものにするために編纂を命じられたものである。『古事記は神話ではない』で桜井光堂氏は、古事記は「国家と国民、国民と国民の関係をはっきりさせる根本資料」であり、権力の登記簿のようなものに当たると考え、名門の家系や先祖のたてた功績を表す氏素性などを記録し公的に保管する手段であるとしている。つまり、ギリシャ神話の神とは違って古事記の神は、天皇の統治の正統性を確実にするために意図的に作られたものなのである。人間を超越した圧倒的な力を持った神を天皇の祖先におくことによって、統治の正当性が確定されたのである。そして、天皇も統治の対象である人間と同じ人間であるから、人間性を神に付与することによってそれはより現実味を帯びてきたと考えられるのである。

また、統治の正統性の確保によって古事記が編纂されたという視点で見れば、古事記の中にはギリシャ神話には見られない土地の神々が多く登場するということもうなずけるし、「国生み」の記述があるということも理解できる。いざなぎといざなみの性交によって生み出されたのは全て「神」ではなく「国」である。この時に生み出された「国」は、淡路島、四国、九州、本州などである。また、この「国生み」の儀式の以外でも土地に関する記述は多い。また、いざなぎといざなみの子孫は互いに結婚することによって様々な土地の守り神を生んでいるのである。これはギリシャ神話にはあまり見られない古事記の神々の顕著な特徴である。これは、日本における産土神という土地の神の存在に深く関係してくるといえよう。

国家レベルでの多神教を離れてみれば、日本においてギリシャ神話と同じような自然を司る神としての多神教は氏神に転換してしまっている。つまり、皇室が血統を重要視し、皇室の血統は元を正せば全て一つであるという考え方から古事記が作られたことと類似して、皇室以外でも多くの人々に信じられていた自然神が、いつしか同じ血統を持つものの祖先としてみられるようになるということが起こったのである。そしてそれは血統という共通項を持つ氏神から、土地という共通項を持つ者達にとっての神、つまり産土の神へと転換していくのである。このような傾向は平安時代に著しくなり、室町時代では血筋の象徴としての氏神と、土地の象徴としての産土神の区別はほとんどつかなくなったという(森三樹三郎『神なき時代』講談社現代新書)。

また、桜井光堂氏は古事記における神の発祥の地、高天ヶ原を朝鮮半島の国であると述べている。このことといざなぎといざなみが天つ神(高天ヶ原の神)から与えられた国を治めよという神勅とを関連づけ、天つ神からいざなぎといざなみに与えられた神勅とは朝鮮半島の国王から二人の人間に与えられた日本の統治命令だとしている。確かに、このように考えてみれば古事記の創世記、つまり世界がどのようにできたかという解釈の記述部分において、初めから高天ヶ原という場所が存在していたという奇妙な事実が理解できる。

さて、そのように考えてみると、ギリシャ神話の世界観では人間がどのようにできたか、あるいは人間とは何かという哲学的な命題がそこに含まれているが、古事記の世界観では大事なのは人間とは何かという哲学的な命題ではなく、自分達皇族の統治の正統性の立証であったといえる。村上陽一郎氏は『日本近代科学の歩み』(三省堂新書1968)で日本における科学的世界観の欠如を述べているが、古事記のこのような点においても、科学的世界観の欠如が見られる。ギリシャ神話においてはどのようにこの世界が形成し、人間が作られたかという記述を始め、さまざまな「なぜ」という問いに対する答えが書かれている。一つの「なぜ」に対しては一つの話、つまり一つの理論が用意されている。例えば、冬から春にかけて空に輝いているさそり座はオリオン座を追うような形で空を昇ってくるが、このことの解釈としては、ギリシャ神話に狩りの名人であるオリオンはさそりに刺されて死んだという記述がある。つまり、オリオンは死んで天に昇ってからもさそりを恐れて逃げ回っているからさそり座はオリオン座を追うような形で空を上ってくると解釈しているのだ。この他にも様々な形で自然と人間に関する解釈がギリシャ神話には書かれている。しかし、これに対し、古事記においては「なぜ」の部分は少ない。なぜなら、桜井光堂氏の解釈に従えば、古事記は皇族の歴史を記述したものであるからなのだ。確かに、古事記においては自然と人間に関するものの記述よりも、土地と統治と血族に関する記述が多いのである。つまり、古事記の「なぜ」はその性質上統治に関する事柄に限定されてしまっているのである。